2014年1月8日水曜日

【告知】長宗我部盛親の慰霊碑を建立

 大阪冬の陣、夏の陣と二度にわたって参戦。徳川家康によって、斬首された長宗我部家二十二代当主である長宗我部盛親の慰霊碑が、没後四百年にあたる2015年の5月に、長宗我部の神社である秦神社(高知市長浜)に建立される。
 先代の当主であった元親が、天下分け目となった関ヶ原の戦いの前年に死去した。
そうしたともあって、盛親は家臣団を統率しきれないまま、関ヶ原に向かわざるを得ず、結局、豊臣方につき、戦には敗れて敗軍の将となった。このため土佐国はめしあげられ、浪々の身となる。
 その後、一矢、家康に報いようと、豊臣方の誘いもあって、大阪の両陣に参加したものの、豊臣秀頼は、自害して果てるという結果となった。盛親は家康方に捉えられて、賀茂の河原で処刑される。世の流れが徳川に総てなびいていく中、家康にあくまでも抵抗、武士の意地を通した格好である。
 それからはや400年の月日が流れる。しかし、元親、それに長兄の信親の墓は土佐にあるものの、盛親の墓はいまだ土佐にはない。
 そこで、この不運の将、盛親の心を鎮めるためにも、慰霊碑を秦神社に立てようとの声があがった。秦神社の宮司もかねている、若宮八幡宮の大久保千尭さんに中心になっていただいて、「長宗我部盛親公慰霊碑建立期成会会」が立ち上がり、高地県内外からも浄財が集まっている。同会事務局連絡先・若宮八幡宮(088・841・2464)。期成会の会長は長宗我部友親です。

下は、盛親公慰霊碑の完成予想図です。
また、記事は高知新聞から。